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博打にはまった大作曲家たち

秋に開催されたショパン国際コンクール、そして今年6月に行われたヴァン・クライヴァーン国際コンクールなど、若手日本人ピアニストたちが海外のメジャーなコンクールで上位入賞を果たしたり、健闘することが相次いでいる。

これまではクラシック音楽を楽しんでいたのは、お金と時間に余裕のある一定年齢以上の層に限られていたが、コンクールのライブ配信やYouTubeに加えて、若い演奏家たちのSNSなどで彼らをより近い距離で応援することが可能になったことにより、ここ数年では特に若い世代でクラシック熱が高まっているようだ。

クラシックの演奏家たちが演奏する曲の多くはバッハやショパン、ブラームスなど18世紀から20世紀前半に生きた作曲家による作品たちだ。さまざまな歴史的背景の中で作曲家たちが自らの命を削るように作り上げた曲も多く、作品だけでなく作曲家自身も俗っぽい現在の生活とはどこか隔絶した芸術家として捉えられることも少なくない。

けれどそういった作曲家たちも、時代は違えど我々と同じように友人同士で冗談を言い合ったり、恋をしたり、キャリアについての不安を抱いたりするなど、日常生活を生きていたわけである。そして中には、彼らの作品の祟高な響きからは考えられないような俗っぽい側面を持っていた作曲家もいる。

例えばギャンブルにハマったと言われる歴史上の人物は少なくないが、作曲家の間にもそんな人たちがいる。現代の社会では自宅にいながらにして、あるいは外出先からスマホでプレイできてしまうオンラインカジノやスポーツブックメーカーが多数ひしめき合っている状況であるが、18世紀や19世紀に生きた作曲家にも、そんな一面があったのだと知ることで、彼らの作品がより身近に感じられるかもしれない。

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

ギャンブルにはまっていたと言われるクラシックの大作曲家の一人目は、バッハ、ベートーヴェンと並び世界で最も一番有名な作曲家の一人、モーツァルトだ。1756年に生まれ、『トルコ行進曲』や『魔笛』など、ピアノ作品からオペラ、交響曲までさまざまな名曲を作曲し、当時のローマ教皇より勲章を授与されるなどの名声を得ながらも、貧困に苦しんだ末、35歳という若さでこの世を去った天才作曲家だ。

当時、こういった芸術家たちは、裕福な貴族などにパトロンとなってもらうか、教会に雇われるのが通常でした。モーツァルトは存命中からヨーロッパ内で天才として名声を獲得し、作品に対してそれなりの額の報酬を受け取っていたはずでしたが、モーツァルトは自らの友人で、パトロンの一人であったプフブルクに、度々借金のお願いをしています。

時にはプフブルクから受け取った多額のお金をすぐに使ってしまい、翌日再び借金を頼みに行ったことも。これはモーツァルトがギャンブルでお金を使い切ってしまったからという説があります。

モーツァルトは賭け事であれば、射的やカードゲーム、ビリヤードなど、多くに手を出したようですが、特にビリヤードと、ケーゲルというボーリングのようなゲームを特に好んでいたとも言われ、そのハマり具合はなかなか深刻なものだったようです。

 

ニコロ・パガニーニ

モーツァルトがウィーンで活躍していた頃にイタリアで生まれ、1840年に長い闘病の末にその生涯を閉じたニコロ・パガニーニは、今年生誕240周年にあたる。その作品で特に有名なのは、フランツ・リストのピアノ曲として知られる『ラ・カンパネラ』のオリジナル版にあたるヴァイオリン協奏曲第2番だが、他にもヴァイオリンの超絶技巧を求められる数々の難曲を生み出した。

そんな難曲を生み出すことが可能だったのは、自身も天才的な演奏技術をもつバイオリニストでもあったからで、そのあまりの凄まじさに「悪魔に魂を売った」とまで言われました。けれどウィーンやベルリン、パリなどの演奏ツアーに出れば、その演奏によってかなり多くの報酬を手に入れていたようで、1831年のロンドンでの演奏会では£10,000を得たとも言われ、当時の価値だと相当なものになったはずです。

一方でモーツァルト同様ギャンブルにハマっていたとのことで、賭博で大負けした末、演奏会の前日に商売道具のヴァイオリンを巻き上げられたという逸話は有名です。

またパガニーニは友人のラッザーロ・レビッツォより、ギャンブル好きと金持ちぶりを見込まれたのか、当時計画していたパリでのカジノ設営の計画に共同出資者、及び音楽の責任者となるよう持ちかけられます。そして1837年、その結果として『カジノ・パガニーニ』がオープンしました。

 

残念なことに、このカジノの経営は振るわず、わずか数ヶ月で閉鎖に追い込まれます。ただし当時「カジノ」という言葉は、ギャンブルをする場所を指していたわけではなく、コンサートや舞踏会も行えるより広い意味での社交の場所を指していたようです。そもそも賭博に対する許可がパリの当局から得られなかったとの資料も残っていることから、このカジノ・パガニーニが現在のカジノからイメージされるものとは少し性質の違うものだった可能性が高いことは書いておいた方が良いかもしれません。

 

終わりに

さてこの記事では「博打にはまった大作曲家たち」ということで、モーツァルトとパガニーニの博打好きな一面について触れました。上にも書いた通り、今はオンラインカジノやスポーツベッティングなど、オンラインで楽しめるギャンブルもそのバリエーションが広がっていますが、意外なところで歴史的作曲家たちと、現在のオンカジファンたちとの繋がりが感じられて面白いかもしれせん。

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